2015年

5月

29日

二元性の思考がつくりだしている茶番劇

他人のことをバカ呼ばわりするなら、あなたは、そのバカだと思う人に感謝しなければならない。
あなたは、自分のことを賢いと思えるのは、そのバカな人がいてくれるおかげなのだから。


あいつはダサい!と思うなら、あなたは、そのダサいと思える人に感謝しなければならない。
あなたが自分のことをカッコよく思えるのは、そのダサいと思える人がいてくれるおかげなのだから。


両者は依存しあっている。

片方がなければ、もう片方は成り立たなくなる。


悪党を見つけださなければ、自分を善人だとも思えない。


二元性の思考がやっていることといえば、この程度のこと。


それでも人は、この思考のお遊びにはまりこみ、毎日、自分がなりたいもののために、その逆のものを必死で探しだそうとする。
そして、逆を見つけたら、それを嫌い、排除しようとする。
これこそ、まさに愚の骨頂。
 

一本の磁石の端には、真逆の極がある。
NとS。


Sを排除しようとするなら、Nも消える。
Nを排除しようとするなら、Sも消える。


バカと賢さは両者で一対。
どちらも愛されるべきものであり、排除されるべきものではない。


追伸
二元性の思考を超えた視点で、現実をありのままにみれるようになりたい方は、奇跡学校のワークショップにご参加ください。


2015年

5月

27日

「数値化できるものは管理できる」というのは思考のまやかし

マインド(思考)は、数字が大好き。
なぜなら、数値化できるものなら、その変化を測定できて、コントロールしきれるものだと思いこんでいるから。

 

売上高、利益、コスト、成績、体重、皮下脂肪率、体温、血圧、血糖値…

マインドは数字の管理者として立ちはだかり、理想の数字を掲げ、それに向かわせようとする。

 

マインドは、マインド自身の死をなにより恐れている。
だから、今を拒否し、未来に向かわせようとする。

 

今ではなく未来にこそ、最高の時があると思い込ませ、けっして思考を止めさせようとはしない。

 

数字などみなくても、今に生きていれば、全てが自然に整うことなど、マインドには信じがたいこと。
マインドは、全体を調和させながら動いている宇宙の動きなど信じようとはしない。

 

だから、今日も、あらゆるものを見張り、管理しようとしている。
それが日々、どれだけの緊張を生み、ストレスとなっているかなど、かまうことなく。

 

数字をみないようにすると、究極の自動入金システムが働きだす。
それを教えてくれたのは、ロバート・シャインフェルドだった。

 

そして、私はそれが本当かどうか、4年かけて何回か実験してみた。
マーケティングを行って日々の数字の変化を管理し、お金を増やそうとするのと、数字をみないで、その日、やる必要のあることをやっているのと、どちらがお金が増えるかを。

 

答えは何度やっても同じだった。

 

世界的にどれだけ凄いと評判のマーケティング手法を大枚をはたいて買い、実行するよりも、数字をみないで、成り行きに任せておいた方が、売上だけでなく、体重も血圧も、ベストコンディションに近づいていく。

 

追伸
来月21日に開催のお金の流れが変わる波動の法則Ver2.0の残席が、あとわずかとなりました。

 

2015年

5月

26日

非二元に至る私の物語

先週末の奇跡学校フォローセミナー「オープン・シークレット」が終わってから、参加者の皆さんとお茶をしていた時のこと。


「そもそも、どうして奇跡学校にこようと思ったの?」と女性Mさんが切りだしたところ、ディマティーニやシャインフェルドの名前が出てきて、その後、日本人のT博士の話に至り、「バガー(私のこと)はT超えしたね」と言ってもらえた。


T博士を超えようなんて思ったことはなかったけど、博士が語る「抽象度」という概念からすれば、非二元のオープン・シークレットというのは、これ以上、あげようのない抽象度レベルに達している。
しかも、抽象度が高いのに、この上なく具体的である。


だから、オープン・シークレットと呼ばれているのかと腑に落ちた。


そして、ここに至れたのも、思い返せば、4年前に大阪までディマティーニのグループセッションを受けに行って、その夜の懇親会でシャインフェルドの「ザ・マネーゲームから脱出する法」の話題が出て、彼の本を読みはじめたのがきっかけだったのを思い出し、昨夜、久々にシャインフェルドの本を読み直してみた。

 

4年前に初めて読んだ時は、何を言ってるのか8割くらいわからなかったけど、今はよくわかる。
まるで自分が書いたんじゃないかと思えるほど、よくわかった。


そして、シャインフェルドは、非二元に至るプログレッシブ(漸進的)な方法を説いているけれど、私は「ダイレクト(直接的)エクスペリエンスでないと、遠回りになるやろ」と思っている。


しかし、これも、「シャインフェルド」や「矢沢」という人物が、この世界に別々に存在している(二元性)という前提を受け入れた、思考によるでっちあげのストーリーに過ぎない。


追伸
来月からはじまる奇跡学校「本当の自己に目覚めるダイレクト・エクスペリエンス」の先行割引は、今日26日までです。


2015年

5月

21日

人生のストーリーを変えようと、もがいていないか?

私は昔、こうでした。

でも、今では、こうなれました。

(もしくは、こうなってしまいました)

 

こんなふうに自分の人生を語る人は、本当の自分を見失っている。

 

映画の中の登場人物の一人と同一化してしまい、分離の空想によるストーリーの世界に入り込んでしまっている。
それがスクリーンに映っている映像であることを忘れ、映像の中の登場人物を自分だと思い込み、必死にストーリーの展開を変えようともがいている。
でも、そのストーリーは、思考が生みだした分離の幻想に過ぎない。
そのストーリーがどれだけリアルに感じられようとも、それがストーリーである限り、思考によるつくり話、幻影に過ぎない。

 

その内容がどれだけ突拍子もないものであろうが、スクリーンは何一つ拒絶することなく、全てを受け入れている。
そこに分離はない。

思考が生みだした拒絶のストーリーでさえ、拒絶なく受け入れられている。

 

目覚める必要がある人など、誰もいない。
全てはスクリーンの中で起きていること。

 

分離の錯覚から目覚めていくように見える展開でさえ、スクリーンの中で起きている一編のストーリーに過ぎない。

 

追伸
変わる必要のある自分などいないことが見抜かれる非二元のワークショップの先行割引は、5月26日までです。


2015年

5月

15日

地図の書き換えに明け暮れていたことに気づく。それが目覚め

目覚めるまで、人は成功を追い求める。

幸福を追い求める。


思考がつくりだした「自分」というもののストーリー(地図)の書き換えに明け暮れる。

そのストーリー(地図)がどれだけ素晴らしいもの、満足のいくものに書き換えられたところで、それは地図でしかない。

実際に存在している土地の面白さとは、何の関係もない。

 

美味しそうな料理本のページ(地図)を何枚めくっても、実際にその料理を口にしてみるまで、その美味しさを味わうことができないように。

 

人生をいかに理想的なものにするか?
それは美味しそうな料理本をつくっているようなもので、それがどれだけ魅力的なものになろうと、「生」そのものの歓びを味わうこととは根本的に異なっている。


そして、生はいつも、今、ここにある。
隠れることも隠されることもなく、現実のものとして、今、ここにある。


成功を追い求めるストーリー(地図)、幸福を追い求めるストーリー(地図)から目覚めた時、ここにいつもあったもの(土地)の美味みに舌を巻く。

 

追伸
今ここにある、生の歓びに目覚めて生きたいかたは、非二元のダイレクトエクスペリエンスにご参加ください。


2015年

5月

14日

宇宙は自らハプニングを起こし、驚いている

最近の私の口癖は、「なんてこった!」。
 一日に何度も何度も、なんてこった!と叫んでは驚いている。

 

宇宙は驚きに満ちている。

 

さて、今日は、予想もできないどんなハプニングが起こるんだろう?
何が起こるかは、実際に起こってみるまでわからない。

 

でも、起こることを起こるがままに眺めていれば、それまで見えなかった、とんでもないものが姿を現しはじめるのは確かだ。
それは、この宇宙全体を動かしているものであり、その完全さ、分離のなさ、無邪気さ、突拍子のなさにふれると、「なんてこった!」という言葉以外、もう何も出てこなくなる。


追伸
全体性から生じるハプニングに満ちた劇に驚き、楽しみながら生きたい方は、非二元のダイレクトエクスペリエンスにご参加ください。


2015年

5月

13日

地図より先に、現実は動いている

古い地図は使いものにならない。
古い地図を頼りに道を歩いていたら、間違いなく道に迷う。

 

新しい地図も、地図であることには違いない。
どれだけ最新の地図であろうと、地図は地図。
実際に存在している土地とは違う。
地図は、土地のことを説明した概念に過ぎない。

 

地図(概念)を信じて歩む者は、必ず道に迷う。

 

現実は、この瞬間も動いている。
地図は、いつも後づけの解釈に過ぎない。

 

今、ここにある現実に意識を向けなければ、現実の変化を見失い、道に迷う。

 

現実は、地図に合わせて動いたりしない。

 

新しい地図(概念・解釈)ができたとき、もう既に現実は動いている。

 

追伸
実際に動き続けている生命の動きと一つになって生きたい方は、ダイレクトエクスペリエンスにご参加ください。

2015年

5月

07日

「自分を嫌いになる」不可能さ

「自分のことが嫌いだ」という人は、「自分ではない何か」と「自分」とを取り違えている。

 

それは、性格かもしれないし、容姿かもしれないし、過去にやった行いかもしれない。
いずれにしても、それは「本当の自分」ではない。

 

自分のことが嫌いだと思ってる人は、自分の舌の味がカライとかニガイとか言ってるようなもんだ。
自分の舌の味なんて、どう舌をねじったところで確認できやしない。
自分の舌がおいしいとか、まずいとか、判定することはできない。

 

それと同じで、「自分」とは、自分のことが好きとか、嫌いとか判定できる対象物ではない。
自分のことを、他の何かと取り違えて「嫌いだ」と言ってる人に向かって、まずは「自分を愛しましょう」と言ってる人もいるが、そもそも、自分ではないものを自分だと取り違えている人に向かって、そのねじれを解くこともなく、嫌いだったものを、好きになれというのも、おかしな話だ。

 

「自分の舌の味をおいしいと思いなさい」とさとしているようなもんだ。

 

自分とは、愛されるものではない。
自分を、他の何かと取り違えたまま、その自分を愛そうとしたところで、舌がこんがらがって疲れるだけ。
いや、取り違えの勘違いが、さらなる勘違いを生むだけだ。


本当の自分は、まったく悩んではいない。
なぜなら、自分こそが、好きも嫌いもない、非二元の愛だからだ。

 

追伸
本当の自己、非二元に目覚めるダイレクト・エクスペリエンスの受付を開始しました。

2015年

5月

06日

「無知」とは、知識がないことではない

「無知」とは、知識がないことではない。
無知とは、「自己」が何であるかを知らないこと。
 

自己とは、「知」そのもの。

自己の本性を知っているものは、知識、情報に頼らずとも、世界の本質を見抜いている。

だから、顕微鏡などなかった二千年以上前から、仏陀もキリストも、この百年で明らかにされた量子力学の法則性を既に見抜いていた。

 

それは膨大な知識をもっていたからではない。

自己とは何か?
その本性に目覚めていたからだ。

 

恐れ、不安、緊張、苦しみ、絶望は、「無知」から生じた幻想。

知の光に照らされれば、それらは消滅する。

 

矢沢大輔


追伸
本当の自己に目覚めるダイレクト・エクスペリエンスの先行割引での募集を開始しました。


2015年

5月

04日

失敗も成功も存在しない

失敗というものは、存在しえない。

成功というのものも、存在しえない。

 

起こることが、ただ、ひとりでに起こっているだけだ。
失敗や成功があるように思えるのは、起こることをコントロールできると思い込んでいる、全体性から分離した想像上の偽の自己意識によるものだ。

 

花が咲いた時に、自分の努力によって、花を咲かせたんだと誇らしさを感じている植物などいない。
花が散った時、自分の努力が足りなかったからだと悔やんでいる植物などいない。

 

咲く時には、自然に咲き、散る時には、自然に散る。

 

ただ、起こることが自然に起こっているだけなのに、人間の思考だけが、花が咲けば、自分の手柄にしたがり、花が散れば、自分のしくじりだと考えたがる。

 

咲くも、散るも、自然の現れ。

それは四季の移ろいのようなもの。


追伸
分離した自己意識から、全体性の意識に目覚めて生きたい方は、非二元の個人セッション、または、新しくなった奇跡学校を受講ください。

2015年

5月

03日

「足るを知る」の意味

「足るを知る」とは、今ある物で十分に足りていることを知り、質素に生きろ、という意味ではない。
物やお金の話をしているのではない。
物やお金があろうがなかろうが、自己とはそんなものに影響されず、永遠に満ち足りた存在であること。
それを知れなさいと言っているのだ。
その満ち足りを知れば、たちまち見える形で豊かさは現れる。

 

追伸
新しくなった「お金の流れが変わる波動の法則」のお申し込み受付を開始しました。

 

2015年

5月

01日

「自分はいつか死ぬ」というのは思い込み

日本人の多くは、自分はいつか死ぬものだと信じ込んでいる。

特に日本の場合、「葬式仏教」が幅をきかせているので、「死があって、ある世がある」ことにしておかないと、坊主稼業が成り立たなくなるので、思いっきり「死がある」と思いこまされている。


だから、多くの人が「死を恐れながら生きる」という、なんとも逆説的でスッキリしないダブルバインドにはまってしまっている。
そして、人生が重苦しく感じられるのは、このダブルバインドによるものだとも見抜けぬまま、多くの人は死んでいく。(本当は誰も死なないけど)


その一方で英語圏の人たちは、自分のことをHuman Beingだと心得ている。
だから、Beingに目覚めながら、HumanとしてのLiffeを楽しんでいる人は多い。(本当は、BeingそのもののLifeがあるだけで、「Humanとしての個人的なLife」、つまり人生があるなんていうのも思考の作り話だけど)

 

Beingとは、文字通り在りつづけているもの。

それは、生まれることも死ぬこともなく、始まりも終わりもない存在。

 

人間というのは、見かけ上はHumanだが、本質はその存在、Being。

 

日本語で「人間」というよりも、これに近い言葉は東洋にはないのだろうかと考えてみたら、ちゃんとあった。

 

「色即是空」
  現れとしての色がHuman。本質として在るもの、空がBeing。

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