ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッション

ノンデュアリティ(非二元)に関するボタンのかけ違え

from 矢沢大輔

 

シャツのボタンをかける際、最初のボタンをかけ違えると、2つ目、3つ目のボタンもズレていき、かけ違いに気づくまで錯誤は続いたままになります。

 

これと同様、ノンデュアリティ」(和訳の「非二元」)という言葉を初めて聞き、その意味を調べようと検索し、「そういうことか!」と分かったなら、それは言葉の上での理解(知識)であり、その後、より多くの情報を集める作業(本を読んだり、誰かの話を聞いたりすること)をどれだけ繰り返しても、やっていることは受験勉強と同じような知識(情報)の詰め込みであることに変わりなく、既知の情報(記憶)によって埋め尽くされた精神は、未知なるもの(新しいもの)とは出会えず、退屈でパターン化された毎日が続き、衰退化していきます。

 

そもそも「ノンデュアリティ(非二元)」とは、「ノン(非)」という否定辞を用いて「デュアリティ(二元性)」を打ち消しています。

ここで打ち消されている「デュアリティ(二元性)」とは、何なのでしょうか?

 

それは、「観察者(私)」と「観察されるもの(私ではないもの)」とが分離し、両者はまったく別々のものである、という認識のことです。

 

たとえば、散歩中にこのような花を見かけたとしましょう。

花を見つめているとき、あなたの心の中でこんなおしゃべりが始まるかもしれません。

 

「この花の名前はなんだろう?」

「前にも見たことがある花だなあ」

「スマホで写真を撮って、植物名を検索してみよう」

 

このようなおしゃべりが続いている時、精神は花と触れ合っていません。

精神が関わっているのは、花(生命)そのものではなく、花についての記憶(頭の中に既に詰め込まれた知識)だからです。

 

そして、これは花を見ているときに限らず、あなたが日々接している妻や夫、娘や息子、カノジョやカレ、職場や学校で出会う人々に対しても、観察者(私)と観察されるもの(相手)の分離のイメージを通して相手を見ているなら、人そのもの(生命)とまったく出会っておらず、頭の中につくり出されたその人物に関する過去のイメージ(記憶)と関わり続けているだけであり、常に変わりゆく生命との直接的な接触から遠ざかってしまった精神は、一定の習慣(パターン)に陥ったまま怠惰で鈍感な精神となりーそこには何の新鮮さも若々しさもなくー生きながらに死んだような人生となってしまいます。

 

そして、ここまでお読みになると、もうお気づきかもしれませんが、ノンデュアリティ(非二元)」とは、「観察者」と「観察されるもの」の分離(二分)がないこと。

 

両者が分離しているように感じられるのは、言葉の働きによってもたらされる錯覚から生じます。

 

ですから、ノンデュアリティ(非二元)の意味を、知識として、言葉の上で理解しようと努力すればするほど、皮肉なことに「観察者」と「観察されるもの」とが別々にある、という二元性の錯覚がズルズルと引き伸ばされてしまうわけです。

 

現実にあるのは、今、出会っている生命そのものです。

 

そして、この生き生きとした生命との直接的な接触を妨げているものは――精神と生命との間に割り込み、「これはこういうものだ」「これは私(観察者)にとって価値あるものだ」「だから、これからも経験したいものだ」「でも、これは排除されるべきものだ」といったおしゃべり――つまり知識(情報)で一杯になり、塞がってしまった精神です。

 

そして、未知なるもの(変わりゆく生命)との直接的な接触を失ったこの古びた精神は、その虚しさから、新しい刺激や経験を求めて、あちらこちらを彷徨い、喜びを見出そうとします。

 

しかし、喜びを感じられるのは束の間のことで、(しばらくすれば喜びは消え失せ)、また別の新たな刺激を求めて彷徨い、そして、また別の…というように、これを繰り返します。

 

表面的には、別のものに移り変わっているように見えますが、新たな刺激(興奮)を求めて、精神が何かを追い求めていることに変わりはなく、この繰り返しによって、精神はますます機械的になり、パターン化され、怠惰で感受性に欠けた鈍感な精神になっていくわけです。

 

そして、この状態は、「観察者」と「観察されるもの」とが別々にあると感じられる分離(二元性)の錯覚が消えてなくなるまで繰り返されます。

 

では、分離の錯覚が消えるのは、いつなのでしょう?

 

観察者と観察されるものとの分離があるなら、そこには不一致、つまり対立、矛盾があります。

そして、この対立、矛盾が解消されるには、時間がかかります。

 

つまり、時間とは、対立、矛盾をなくすために想定された(思考によってつくり出された)トリックです。

 

しかし、実際には、「観察者」と「観察されるもの」は別々のものではありません。

 

非二元性の現実(リアリティ)があるだけで、これを自己知覚したとき、対立、矛盾はなく、よって両者を一致させるための時間はなくなります。

 

そこで、このプライベートセッション(対話)では

「観察されているもの」を意のままにコントロールしようとする観察者(管理者、検閲官、思考者)のない、直接的な観察(見るアート・聴くアート)とはどのようなものかを実感いただいています。

そして、この観察こそが、愛、慈悲の行為そのものであり、あなたが日々出会う人々や動植物、自然環境(さらにはあなたの内面で起きている葛藤、混乱、恐れ)との関係性に未知なる変容をもたらすこと。

それを日々の生活を通して実感できるようになれば、日々フレッシュな生命と触れ合うあなたの精神は、年齢にかかわりなく、若々しく生き生きと活気づくでしょう。

 

プライベートセッションはこんな方にお薦めです

■親子、兄弟、パートナーとの関係、職場での人間関係で感情的になってしまう人がいる方

■仕事をしながら、「こんな仕事は自分の仕事ではない」という否定的な思いが出てきて、仕事に向き合えない方

■金銭の動きに合わせて感情が一喜一憂し、お金の心配が絶えない方

■感情や思考に気づいている瞑想を実践しつづけても、マインドフルを感じられない方

■将来の不安や心配が絶えず、心が落ち着かない方

■夜、眠れない方

■他人からどう見られているか、思われているかが気になってばかりいる方

■人前に立つと極度に緊張してしまう方

■セラピー、カウンセリングを受けても、トラウマ、恐れ、不安、罪悪感、劣等感など精神的苦痛が続いている方

■精神的安定のために、何かへの依存、または中毒が続いている方

■他人をうらやんだり、自分を卑下したり、他人との比較ばかりしている方

 

ノンデュアリティ・プライベートセッションは、対面またはオンラインでお受けいただけます。

矢沢大輔(京都)

最寄駅:阪急「烏丸駅」(地下鉄「四条駅」)または地下鉄「烏丸御池駅」

セッションの詳細・ご予約はこちらから

ナチュラルフロー認定ファシリテーター

高山悦子(千葉)

最寄駅:千葉駅

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ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションを受けた方の声

【セッションの直後に届いた声】

思考がどれだけフィクションなのか。そして、目や耳が感知しているものがどれだけ事実と一致しているのか。そのことを体感できて本当によかったです。

これまでは思考や感情を門番のように見張り続け(笑)、好みじゃないものが出てくるとぎゃーまた出てきた😱と思って、なんとかその思考や感情をなくそうとか良いものに変えようとか働きかけることが多かったのですが、これからは安心してそのままにしておけそうです。そして、ここではないどこかへ素晴らしい何かを探しに行くという探究も今日で終わりにできそうです。

 

【セッションの翌日に届いた声】

今朝、寝起きに苦しい感情が湧き上がってきたのですが、その感情をよくないとして、なんとか静めようとしている思考に気がついたら、心が穏やかになって、いつのまにか感情も消えていました。そして、次の瞬間にはもう違うことが現れはじめていることを五感が教えてくれて、矢沢さんがおっしゃっていたように、はじめから五感は何も残さずクリアであることを実感しました。セッション受けてよかったなと改めて感じた朝でした。

(R.Aさん 女性)

 

今回は怒りの感情に対する見方を取り上げてもらいましたが、自分にとって一番感動したのは、「五感を感じて生きることの喜びがあるじゃないか!」と矢沢さんのお話を聞いて思えたことです。

いい年をして、何も成し遂げていなくて、あらゆることへの興味もどんどん薄れ、この先人生になんの喜びがあるのだろう…このまま廃れて死んでいくことを待つような人生なのかも…と思っていたのです。正直、非二元のイメージは何も感動しないような、変な誤解をしていたようです。

思い切ってセッションを受けて本当に良かったです。読み物だけでは得られない肌で感じるものがありました。

(K.Mさん 女性 会社員)

 

セッション中は、不思議な技を使えるようになったのかも…とキョトンとし、最後にはこれでどうやって自分の体を動かせば良いのか分からなくなってしまい、放心状態になりました。

しかし、勝手に寝て、今朝、勝手に起きて、準備して、歩いて、会社についていました。そして、職場の女性に対してイライラしたときの反応を試してみたくて、いつもならイライラしそうな場面もありましたが、「これでイライラできるかも」と期待して楽しんでしまったので、イライラしませんでした。

目の前のコーヒーを飲んでいたら平和すぎて笑えてきました。セッションを受ける前まで、イライラしたくないと願っていたのに、今日はイライラしたいと期待していた変な1日でした。これは本当に言葉では表せない感覚ですね。笑いしか出てこない。

今回とてもラッキーだったのは、矢沢さんが関西弁だったことです。私も途中から、自分に話しかけているのか、矢沢さんに話しているのか分からなくなって素の関西弁になり、とてもリラックスできました。

「勝手に出てくんねん」「そのままでええねん」

この矢沢さんの関西弁のセリフが私にはすんなり馴染んでいくきっかけだったように思います。このたびは本当にありがとうございました。しばらくこの状態を楽しんでみようと思います。と全部勝手に浮かんできました。笑

(匿名 女性)

 

セッションでは、不思議な感覚で、何が起こったのか、実は、はっきりとはわからなかったのですが、アドバイスいただいた通り「感情を言語化しない」ようにしたり、矢沢先生のブログを拝見したりしているうちに、何が起こったのかようやくわかりました!

「肉体の中に意識がある」のではなく「意識の中に肉体がある」ということを「知っている」ことを思い出したのでした!この「知っている」ということに気付けたのと、この一年、「知っている」こと(スピリチュアルな統合では『意識の反転』とよく言いますが)をわかるために、時間とお金を費やしていたのだなと思うと、本当に笑いがこみ上げてきますね!

本当に、スピリチュアル探求というのは、今起こっていること以外の何かを求めることで、終わらない無限のループなんですね~。求めるから見つからないのであり、本当はすでに目覚めているんですね。今にいると、平和で満たされているという意味が、ようやくわかりました。というわけで、スピリチュアル探求は、自然に終わりました(笑)

思考も、そのまま流れていくようにしていると、思考が減ってきたような気がします。例えば、「面倒くさい」という思考が流れる前に、体が勝手に動いて、スムーズに物事が流れることが多くなりました。

(匿名 女性)

 

セッションの中で、不足というのは『自分の思考の中にしかない』ということがわかりました。そして、結果を自分でコントロールしようとさえしなければ、現実は自由に起こる事が起こっていて、自由にフローしている。。。

「現実は満ち足りていて、何も不足がない」という事を、矢沢先生のガイドで体感し、え⁉︎え⁉︎えっーー❤︎となりました。

そうしたら「自由は自分で勝ち取らないと!」と思って、日々行動していた自分が可笑らしく、漫画チックにさえ思えてきて、爆してしまいました。

「漫才のネタとかに使えんのちゃう?」という矢沢先生の言葉で、更に笑えてきました。セッション以降は、平和でリラックスした毎日を送っています。

(国家公務員 女性)

 

言葉ではうまく言えませんが、プライベートセッションを受けた日の帰り道、街が輝いていて、見慣れた梅田の街が、まるで別物のようで、初めて見た街のように見えました。とても心地良かったです。転職とか、時間の束縛から自由になりたいという願望がなくなると、ちょっと最初は頼りなく感じましたが、なんだか和やかで、軽ろやかです♪

(F.Mさん  女性)

 

先日は、ありがとうございました。帰宅後、主人に「これからどうしていくのか?」聞かれ、「どうにかしていく私がいなかったよ」とこたえたら、「どこに行っても探求は、終わらないよ」と言っていた主人もほほえんでいました。

その後、私の思考とは別に、ケラケラ笑いがしばらくとまりませんでした。

そして夜、私のセッションのことを書いてくださった矢沢さんのブログを読むと、主人が号泣でした。どうしたか聞くと、「無に消えていったということだよー」と号泣していました。

昨日は、主人と仙台にハウンド・ドッグのライブに行きました。ライブ中、スペースからこのステージがでていて、私のお祝いをしてくれているんだという、感覚で嬉しかったのですが、スペースからでているのではなく、このステージの現れをスペースが自由に受け取っていいと、なんにもないスペースがありました(??)

頑張らなければならない自分も、どうにかしなければならない自分も、初めからいなかったと、セッションを受けてわかりました。どうにかしないとと考えるマインドがでてきても、今ただ現れたということで、そこからマインドのストーリーにひきずられないこともできるようになっています。食事もライブも私が、お金を払って用意したものではないことも、そうなのかなと思うマインドもでてきますが、そう思ったということだけで終わりにしています。

壮大なパノラマをみるスペース。ギフトをうけとる今にたどり着いたという、これもまた壮大なストーリーだったと、楽しくなってきました。

(S.Sさん 女性)

 

起業の予定があり、不安とか怖さでいっぱいでしたが、セッションを受けて、日に日に私のなかの恐れが消えていきました。それは、矢沢さんが不安の正体を教えてくれたからです。

サロン開業の話もどんどん進み、毎日楽しさの方に心が向いています。(リスクを手放すことに成功したんです)

神秘的な体験はしていませんが、感覚をつかむと今までには戻れなくて、今までのマインドを自然に手放すことができ、喜びや、安心感に包まれる毎日です。他のいろんなセッションではすぐに消える至福感が、矢沢さんのセッションではいつも一緒な感じです。

時間いっぱいいっぱいまで優しく本当に優しくメッセージを送り続けて下さいます。世の中には高いお金のセッションもありますが、矢沢さんのセッションはとても良心的な料金です。ありえません。

あの後、初歩の初歩の一瞥体験がやって来ました。それは、笑いが止まらなくなり「私は今まで一体何を悩んで生きてきたんだろう」と何かが落ちた感覚です。不思議ですがサクサク生きています。

(N.Iさん 女性)

 

先日、プライベートセッションでお世話になり、今日はお礼のメールです。あれから本当に悩めなくなってしまいました(笑)

問題(っぽいもの)は、相変わらず起こるのですが、まったく気にならなくなりました。

セッション当日は「知っちまったよ~、手品のタネ」と思い、人生がつまらなく、虚無感に襲われるのでは?と、若干の心配が残っていましたがさにあらず。タネを知ったら知ったで、「スゲー手品じゃん!」と、ますます感動の日々です。

ノンデュアリティの本も読んでみたりもしましたが(もちろんそれも楽しめたけれど)雪の粒を手づかみすると溶けてしまうように、言葉で表現されたそれと、セッションで体験したそれでは、また違う味わいがありました。楽しい時間をありがとうございました。

(Y.Mさん 女性)

 

セッションの後、電車に乗っていると、笑いが止まらなくなってしまい大変でした(笑笑)「全てはただ起きてる」というシンプルな真実が腑に落ちたのか、「今まで"私"がやってきたことなんて何一つなかったんだ」っていうことが明らかで。

でもこれまで本当に一生懸命思考ちゃんは「私がやった!」って捉えてきたことが、でもそれすらも素敵な壮大なストーリーの中でただ起きてたんだってことが何だかすごく面白くておかしくなっちゃいました(≧∀≦) 笑いがどうしても止まらないのでマスクで隠してして何とか帰ってきました〜笑

あらゆる全ては完全性の中でただ表現されてる、起きてるんですね。本当に一なる意識ってすごいとしか言いようがないです。本当に楽しい時間でした。

(M.Kさん 女性)

 

プライベートセッションは、対面またはオンラインで行っています。

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