非二元(ノンデュアリティ)プライベートセッション

非二元(ノンデュアリティ)に関する落とし穴

from 矢沢大輔

 

非二元(ノンデュアリティ)とは、「非(ノン)」という否定形を用いて「二元(デュアリティ)」を打ち消している言葉です。

これが何を意味しているのかを日本語だけで述べると「根元的に存在しているものは、二元(二つ)ではない」となります。


では、なぜ、このような内容を述べているかというと、インド哲学では存在論として、非二元的な「不二一元論」を唱える学派もあれば、「二元論」や「多元論」を唱える学派もあるからです。

また西洋においても、人間の本質は、考える実体としての「精神」と身体としての「物質」の二つから成り立っている、と考えたのがデカルト哲学の原理(二元論)です。


ここから話を非二元(ノンデュアリティ )に戻すと、「非」で否定されている「二元」とは、そもそも何と何のことなのでしょうか?


それは、「生きて有ること(生きること)」と「幸福」。

この両者は別々の二つのものではなく、一つの同じものであることを示しています。


これをインド哲学では、根元的存在を表す言葉として、「サット(存在)・チット(知)・アーナンダ(至福)」と呼んでいます。


「生きること」と「幸福」が別ものではなく同一であるなら、その存在(人間)は幸福な生を日々送っていることになります。


ここまで読むと、こんな疑問が湧いてくるかもしれません。

生きることと幸福が一つの同じものであるなら、なぜ、その真逆ともいえる「生きることはつらく、苦しいこと」と感じながら生きている人がいるのか?…と。


その答えは、人間として存在している私たちは、幸福にも不幸にもなりうる自由を持っているから、といえます。


幸福な生を日々送っている人は、自己の本来的な命の活動が、生きることそのもの、としてあるので、自己として生きる(有る)喜びを日々享受しながら、幸福な生を送っています。


これに対し、生きることと、自己の命の本来的活動とが別のものとしてあるなら(非本来的な生き方をしているなら)、当然ながら自分らしく生きている喜び(幸福)は日々感じられず、その空洞を埋めるために、せいぜい他人から見て幸福そうに見える生を演じつづけることにもなり得ます。


では、なにゆえ人間の生において、このような悲劇が起こり得るかというと、それは私たちが日々暮らす現代社会が、デカルト哲学の原理(二元論)に基づく概念的世界から派生した諸制度からなる社会であり、それに慣れ親しんでいるがゆえに、私たちの多くが、本来の自己を忘却し、生きる喜びを享受できない、二元論が描き出した偽りの人生像に従って生きてきたからに他なりません。


そして、ここでいう命の本来的活動としての幸福は、お金で買うことはできません。


その理由は、それが希少すぎて手に入れがたいものだからではなく、あまりにありふれたもので、私たちが成熟した生き物(人間)であることを忘却(あるいは無視)していなければ、誰もが既に持っているものだからです。


私たち一人一人が一つずつ既に持っていて、お金ではやり取りできないこのかけがえのない命の働き(本来の自己)を何よりも大切にして生きること。


これこそが幸福な生であること。


「生きること」「本来の自己として有ること」「幸福であること」は、別のものではなく同一のものであること。


これを言葉にして言い表すと、「二つではない」という意味で、非二元(ノンデュアリティ )となるのかもしれませんが、ここに大きな落とし穴が待ち構えています。


それは、真実が二元でないのなら、二元のうちのどちらか片方が真実であるはずだと考え、またそれこそが真理の探求だと思い込み、現実から解離した思弁的な思考に陥り、答えの出るはずのない無意味な問いの中をさまよい続けてしまう危険性です。


その典型例が、デカルトの原理(精神と物質の二元論)が真実でないなら「唯心論(観念論)」か「唯物論(物質主義)」のどちらかが絶対的なものだと考え、自分では真理を極めていると勘違いしたまま、自己として生きる喜びを感じられない虚無(ニヒリズム)に陥ってしまう悲劇です。

そこで、矢沢大輔のプライベートセッションでは

デカルトの根本原理である二元論でも、一元論としての「唯心論(観念論)」でも「唯物論(物理主義・物質主義)」でもない(これらの思考の働きにより隠されて見えなくなってしまっている)私たち人間本来の命の活動(自己として有ること)と生きることが同一であり、それこそが自己として有る悦びであり、生きる悦びであることを体験として理解いただけるよう対話を進めいきます。

プライベートセッションはこんな方にお薦めです

■親子、兄弟、パートナーとの関係、職場での人間関係で感情的になってしまう人がいる方

■仕事をしながら、「こんな仕事は自分の仕事ではない」という否定的な思いが出てきて、仕事に向き合えない方

■金銭の動きに合わせて感情が一喜一憂し、お金の心配が絶えない方

■将来の不安や心配が絶えず、心が落ち着かない方

■他人からどう見られているか、思われているかが気になってばかりいる方

■人前に立つと極度に緊張してしまう方

■セラピー、カウンセリングを受けても、トラウマ、恐れ、不安、罪悪感、劣等感など精神的苦痛が続いている方

■精神的安定のために、何かへの依存、または中毒が続いている方

■他人をうらやんだり、自分を卑下したり、他人との比較ばかりしている方

 

ノンデュアリティ・プライベートセッションは、対面またはオンラインでお受けいただけます。

矢沢大輔(京都)

最寄駅:阪急「烏丸駅」(地下鉄「四条駅」)または地下鉄「烏丸御池駅」

セッションの詳細・ご予約はこちらから

ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションを受けた方の声

【セッションの直後に届いた声】

思考がどれだけフィクションなのか。そして、目や耳が感知しているものがどれだけ事実と一致しているのか。そのことを体感できて本当によかったです。

これまでは思考や感情を門番のように見張り続け(笑)、好みじゃないものが出てくるとぎゃーまた出てきた😱と思って、なんとかその思考や感情をなくそうとか良いものに変えようとか働きかけることが多かったのですが、これからは安心してそのままにしておけそうです。そして、ここではないどこかへ素晴らしい何かを探しに行くという探究も今日で終わりにできそうです。

 

【セッションの翌日に届いた声】

今朝、寝起きに苦しい感情が湧き上がってきたのですが、その感情をよくないとして、なんとか静めようとしている思考に気がついたら、心が穏やかになって、いつのまにか感情も消えていました。そして、次の瞬間にはもう違うことが現れはじめていることを五感が教えてくれて、矢沢さんがおっしゃっていたように、はじめから五感は何も残さずクリアであることを実感しました。セッション受けてよかったなと改めて感じた朝でした。

(R.Aさん 女性)

 

今回は怒りの感情に対する見方を取り上げてもらいましたが、自分にとって一番感動したのは、「五感を感じて生きることの喜びがあるじゃないか!」と矢沢さんのお話を聞いて思えたことです。

いい年をして、何も成し遂げていなくて、あらゆることへの興味もどんどん薄れ、この先人生になんの喜びがあるのだろう…このまま廃れて死んでいくことを待つような人生なのかも…と思っていたのです。正直、非二元のイメージは何も感動しないような、変な誤解をしていたようです。

思い切ってセッションを受けて本当に良かったです。読み物だけでは得られない肌で感じるものがありました。

(K.Mさん 女性 会社員)

 

セッション中は、不思議な技を使えるようになったのかも…とキョトンとし、最後にはこれでどうやって自分の体を動かせば良いのか分からなくなってしまい、放心状態になりました。

しかし、勝手に寝て、今朝、勝手に起きて、準備して、歩いて、会社についていました。そして、職場の女性に対してイライラしたときの反応を試してみたくて、いつもならイライラしそうな場面もありましたが、「これでイライラできるかも」と期待して楽しんでしまったので、イライラしませんでした。

目の前のコーヒーを飲んでいたら平和すぎて笑えてきました。セッションを受ける前まで、イライラしたくないと願っていたのに、今日はイライラしたいと期待していた変な1日でした。これは本当に言葉では表せない感覚ですね。笑いしか出てこない。

今回とてもラッキーだったのは、矢沢さんが関西弁だったことです。私も途中から、自分に話しかけているのか、矢沢さんに話しているのか分からなくなって素の関西弁になり、とてもリラックスできました。

「勝手に出てくんねん」「そのままでええねん」

この矢沢さんの関西弁のセリフが私にはすんなり馴染んでいくきっかけだったように思います。このたびは本当にありがとうございました。しばらくこの状態を楽しんでみようと思います。と全部勝手に浮かんできました。笑

(匿名 女性)

 

セッションでは、不思議な感覚で、何が起こったのか、実は、はっきりとはわからなかったのですが、アドバイスいただいた通り「感情を言語化しない」ようにしたり、矢沢先生のブログを拝見したりしているうちに、何が起こったのかようやくわかりました!

「肉体の中に意識がある」のではなく「意識の中に肉体がある」ということを「知っている」ことを思い出したのでした!この「知っている」ということに気付けたのと、この一年、「知っている」こと(スピリチュアルな統合では『意識の反転』とよく言いますが)をわかるために、時間とお金を費やしていたのだなと思うと、本当に笑いがこみ上げてきますね!

本当に、スピリチュアル探求というのは、今起こっていること以外の何かを求めることで、終わらない無限のループなんですね~。求めるから見つからないのであり、本当はすでに目覚めているんですね。今にいると、平和で満たされているという意味が、ようやくわかりました。というわけで、スピリチュアル探求は、自然に終わりました(笑)

思考も、そのまま流れていくようにしていると、思考が減ってきたような気がします。例えば、「面倒くさい」という思考が流れる前に、体が勝手に動いて、スムーズに物事が流れることが多くなりました。

(匿名 女性)

 

セッションの中で、不足というのは『自分の思考の中にしかない』ということがわかりました。そして、結果を自分でコントロールしようとさえしなければ、現実は自由に起こる事が起こっていて、自由にフローしている。。。

「現実は満ち足りていて、何も不足がない」という事を、矢沢先生のガイドで体感し、え⁉︎え⁉︎えっーー❤︎となりました。

そうしたら「自由は自分で勝ち取らないと!」と思って、日々行動していた自分が可笑らしく、漫画チックにさえ思えてきて、爆してしまいました。

「漫才のネタとかに使えんのちゃう?」という矢沢先生の言葉で、更に笑えてきました。セッション以降は、平和でリラックスした毎日を送っています。

(国家公務員 女性)

 

言葉ではうまく言えませんが、プライベートセッションを受けた日の帰り道、街が輝いていて、見慣れた梅田の街が、まるで別物のようで、初めて見た街のように見えました。とても心地良かったです。転職とか、時間の束縛から自由になりたいという願望がなくなると、ちょっと最初は頼りなく感じましたが、なんだか和やかで、軽ろやかです♪

(F.Mさん  女性)

 

先日は、ありがとうございました。帰宅後、主人に「これからどうしていくのか?」聞かれ、「どうにかしていく私がいなかったよ」とこたえたら、「どこに行っても探求は、終わらないよ」と言っていた主人もほほえんでいました。

その後、私の思考とは別に、ケラケラ笑いがしばらくとまりませんでした。

そして夜、私のセッションのことを書いてくださった矢沢さんのブログを読むと、主人が号泣でした。どうしたか聞くと、「無に消えていったということだよー」と号泣していました。

昨日は、主人と仙台にハウンド・ドッグのライブに行きました。ライブ中、スペースからこのステージがでていて、私のお祝いをしてくれているんだという、感覚で嬉しかったのですが、スペースからでているのではなく、このステージの現れをスペースが自由に受け取っていいと、なんにもないスペースがありました(??)

頑張らなければならない自分も、どうにかしなければならない自分も、初めからいなかったと、セッションを受けてわかりました。どうにかしないとと考えるマインドがでてきても、今ただ現れたということで、そこからマインドのストーリーにひきずられないこともできるようになっています。食事もライブも私が、お金を払って用意したものではないことも、そうなのかなと思うマインドもでてきますが、そう思ったということだけで終わりにしています。

壮大なパノラマをみるスペース。ギフトをうけとる今にたどり着いたという、これもまた壮大なストーリーだったと、楽しくなってきました。

(S.Sさん 女性)

 

起業の予定があり、不安とか怖さでいっぱいでしたが、セッションを受けて、日に日に私のなかの恐れが消えていきました。それは、矢沢さんが不安の正体を教えてくれたからです。

サロン開業の話もどんどん進み、毎日楽しさの方に心が向いています。(リスクを手放すことに成功したんです)

神秘的な体験はしていませんが、感覚をつかむと今までには戻れなくて、今までのマインドを自然に手放すことができ、喜びや、安心感に包まれる毎日です。他のいろんなセッションではすぐに消える至福感が、矢沢さんのセッションではいつも一緒な感じです。

時間いっぱいいっぱいまで優しく本当に優しくメッセージを送り続けて下さいます。世の中には高いお金のセッションもありますが、矢沢さんのセッションはとても良心的な料金です。ありえません。

あの後、初歩の初歩の一瞥体験がやって来ました。それは、笑いが止まらなくなり「私は今まで一体何を悩んで生きてきたんだろう」と何かが落ちた感覚です。不思議ですがサクサク生きています。

(N.Iさん 女性)

 

先日、プライベートセッションでお世話になり、今日はお礼のメールです。あれから本当に悩めなくなってしまいました(笑)

問題(っぽいもの)は、相変わらず起こるのですが、まったく気にならなくなりました。

セッション当日は「知っちまったよ~、手品のタネ」と思い、人生がつまらなく、虚無感に襲われるのでは?と、若干の心配が残っていましたがさにあらず。タネを知ったら知ったで、「スゲー手品じゃん!」と、ますます感動の日々です。

ノンデュアリティの本も読んでみたりもしましたが(もちろんそれも楽しめたけれど)雪の粒を手づかみすると溶けてしまうように、言葉で表現されたそれと、セッションで体験したそれでは、また違う味わいがありました。楽しい時間をありがとうございました。

(Y.Mさん 女性)

 

セッションの後、電車に乗っていると、笑いが止まらなくなってしまい大変でした(笑笑)「全てはただ起きてる」というシンプルな真実が腑に落ちたのか、「今まで"私"がやってきたことなんて何一つなかったんだ」っていうことが明らかで。

でもこれまで本当に一生懸命思考ちゃんは「私がやった!」って捉えてきたことが、でもそれすらも素敵な壮大なストーリーの中でただ起きてたんだってことが何だかすごく面白くておかしくなっちゃいました(≧∀≦) 笑いがどうしても止まらないのでマスクで隠してして何とか帰ってきました〜笑

あらゆる全ては完全性の中でただ表現されてる、起きてるんですね。本当に一なる意識ってすごいとしか言いようがないです。本当に楽しい時間でした。

(M.Kさん 女性)