非二元(ノンデュアリティ)プライベートセッション

非二元(ノンデュアリティ)に関する誤解とその束縛から自由になり、自分らしく幸福に生きる「技と知」

from 矢沢大輔


非二元(ノンデュアリティ)とは、「非(ノン)」という否定形を用いて「二元(デュアリティ)」を打ち消している言葉です。


この言葉は「人間を人間たらしめているものは何か?」という問いに対する答えで、「人間は『精神』と『物質』の二つ(二元)からできているのではない」という内容を表しています。


では、なぜ、否定形を用いてこのような内容を伝えているのかというと、古くはインド哲学において、人間は「精神」と「物質」の二つからできていると考えた「二元論」の学派があり、それに対して「いや、その二つではない」と考え「不二一元論」を唱えた学派があったからです。


また西洋では、「我思う、ゆえに我あり」と言ったデカルトが、人間は「思考する主体としての私(心)」と「物質としての身体」からなる、とする心身二元論を唱えました。


しかし、人々の思考や判断がデカルトの思想に影響されるにつれ、自己の本来的な活動が見失われ、自分らしく生きる喜び(幸福)を享受できなくなる問題が、現代の思想家たちによって指摘され、哲学の歴史が大きく転換しました。


そして、ここまで読むと、こんな疑問が湧いてくるかもしれません。


では、なぜ、現代においても、「生きることはつらく、苦しいこと」と感じながら生きている人が現に存在するのか?…と。


その答えは、私たちが生きている現代日本社会の根幹をなす貨幣制度と職業制度が、近代のヨーロッパでデカルトの原理に基づき構築されたものであり、哲学的には既に克服された問題とはいえ、現代社会の中で経済活動を繰り返すわれわれ日本人の思考や行動も、意識できないままデカルトの二元論に染まり、自己本来の生を送れなくなっているから、といえます。


さらにデカルトの二元論の影響の強さは、皮肉なことにYouTubeなどで、二元を否定しているはずの「非二元」や「ノンデュアリティ」を語る人たちの言動の中にも、色濃く現れ出ています。


その典型的な例が、真の存在が二元でないのなら、考える心もしくは物質のどちらか一方が真の存在であるはずだと考え、「唯心論(観念論)」か「唯物論(物理主義)」に行き着いた人たちの言動で、そこで語られている内容が、デカルトが考えた「心・物質」の二元の枠内にとどまったままの考えであることにまったく気づけないほど(言い換えるなら、デカルトの掌の上で思考の遊戯に耽り続けるほど)、私たちの頭が二元論に浸り切っている現状を見事に示してくれています。


そして、二元のうちのどちらかが真の存在である(それ自体で独立して存在しうるもの)と考え、それを極めようとすると、必然的に人間としての自己存在を否定せざるを得なくなる知的転倒に誘い込まれ、人間の生から自己の本来的な活動が消失してしまう「生きながらの死」というべき虚無に陥る危険性があるので、特に注意が必要です。

このプライベートセッションで体験できること

ここまで、非二元(ノンデュアリティ )に関することをいろいろと書きましたが、セッションを受けていただくにあたって、哲学に関するこれ以上の知識は何も必要ありません。


なぜなら、知識の過剰によって混乱させられたこの社会において、自分らしく幸福に生きるために必要なのは、より多くの知識を得ることに喜びを感じる、一般的に知的好奇心と呼ばれている抽象的な思考ではなく、自分自身の日々の活動と一体になった個別的で具体的な思考の働きだからです。


自分の外側にあるものでなく、自分自身の内側に意識を向けさせることができるこの思考は、何らかの書物やある人物に接した時、その個別的で具体的な発言内容に触発されて働き出す思考です。


この思考が動き出すまで、私たちの思考はデカルトの二元論に染まり切っているため、利害の計算に夢中で、自分にとって何を手に入れ、何を避けることが喜びなのか、という思考のもと、選択を行い、自分の外側から好ましいと思えるものが手に入れば喜びを感じ、それが手に入らなかったり、手に入れたものが失われたとき、失望します。


この幸・不幸の関係は、私たちの外側から出たり入ったりするもので決まりますが、ここまで私が語ってきた幸福とは、これとは異なるもので、誰もが一つずつ自分の中に既に持っていて、これから新たに得る必要もなければ失うこともなく、増えることもなければ減ることもない、本来のあなたです。


それは絶え間なく活動し続け、目の前にあり続けていますが、あなたはいまだ、その値打ちに気づけず、自分の生き方に悩んでいるかもしれません。


なぜなら、私たちが価値を認めているのは、経済的観点から見て希少性のあるもので、日々の活動(生きること)は目的達成のための手段としか思えないほどデカルトの原理にわれわれの思考が支配され、自分らしく生きる喜びを感じられなくなっているからです。


そこで、このセッションでは、目的と手段(行動)が別のものではなく同一であり、日々のありふれた活動こそが生きることそのものであり、同時にそれが生きる喜び(幸福)であることを体験として理解いただけるよう対話を進めいきます。


プライベートセッションはこんな方にお薦めです

■親子、兄弟、パートナーとの関係、職場での人間関係で感情的になってしまう人がいる方

■仕事をしながら、「こんな仕事は自分の仕事ではない」という否定的な思いが出てきて、仕事に向き合えない方

■金銭の動きに合わせて感情が一喜一憂し、お金の心配が絶えない方

■将来の不安や心配が絶えず、心が落ち着かない方

■他人からどう見られているか、思われているかが気になってばかりいる方

■人前に立つと極度に緊張してしまう方

■セラピー、カウンセリングを受けても、トラウマ、恐れ、不安、罪悪感、劣等感など精神的苦痛が続いている方

■精神的安定のために、何かへの依存、または中毒が続いている方

■他人をうらやんだり、自分を卑下したり、他人との比較ばかりしている方

 

ノンデュアリティ・プライベートセッションは、対面またはオンラインでお受けいただけます。

矢沢大輔(京都)

最寄駅:阪急「烏丸駅」(地下鉄「四条駅」)または地下鉄「烏丸御池駅」

セッションの詳細・ご予約はこちらから

ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションを受けた方の声

【セッションの直後に届いた声】

思考がどれだけフィクションなのか。そして、目や耳が感知しているものがどれだけ事実と一致しているのか。そのことを体感できて本当によかったです。

これまでは思考や感情を門番のように見張り続け(笑)、好みじゃないものが出てくるとぎゃーまた出てきた😱と思って、なんとかその思考や感情をなくそうとか良いものに変えようとか働きかけることが多かったのですが、これからは安心してそのままにしておけそうです。そして、ここではないどこかへ素晴らしい何かを探しに行くという探究も今日で終わりにできそうです。

 

【セッションの翌日に届いた声】

今朝、寝起きに苦しい感情が湧き上がってきたのですが、その感情をよくないとして、なんとか静めようとしている思考に気がついたら、心が穏やかになって、いつのまにか感情も消えていました。そして、次の瞬間にはもう違うことが現れはじめていることを五感が教えてくれて、矢沢さんがおっしゃっていたように、はじめから五感は何も残さずクリアであることを実感しました。セッション受けてよかったなと改めて感じた朝でした。

(R.Aさん 女性)

 

今回は怒りの感情に対する見方を取り上げてもらいましたが、自分にとって一番感動したのは、「五感を感じて生きることの喜びがあるじゃないか!」と矢沢さんのお話を聞いて思えたことです。

いい年をして、何も成し遂げていなくて、あらゆることへの興味もどんどん薄れ、この先人生になんの喜びがあるのだろう…このまま廃れて死んでいくことを待つような人生なのかも…と思っていたのです。正直、ノンデュアリティのイメージは何も感動しないような、変な誤解をしていたようです。

思い切ってセッションを受けて本当に良かったです。読み物だけでは得られない肌で感じるものがありました。

(K.Mさん 女性 会社員)

 

セッション中は、不思議な技を使えるようになったのかも…とキョトンとし、最後にはこれでどうやって自分の体を動かせば良いのか分からなくなってしまい、放心状態になりました。

しかし、勝手に寝て、今朝、勝手に起きて、準備して、歩いて、会社についていました。そして、職場の女性に対してイライラしたときの反応を試してみたくて、いつもならイライラしそうな場面もありましたが、「これでイライラできるかも」と期待して楽しんでしまったので、イライラしませんでした。

目の前のコーヒーを飲んでいたら平和すぎて笑えてきました。セッションを受ける前まで、イライラしたくないと願っていたのに、今日はイライラしたいと期待していた変な1日でした。これは本当に言葉では表せない感覚ですね。笑いしか出てこない。

今回とてもラッキーだったのは、矢沢さんが関西弁だったことです。私も途中から、自分に話しかけているのか、矢沢さんに話しているのか分からなくなって素の関西弁になり、とてもリラックスできました。

(匿名 女性)

 

セッションでは、不思議な感覚で、何が起こったのか、実は、はっきりとはわからなかったのですが、アドバイスいただいた通り「感情を言語化しない」ようにしたり、矢沢先生のブログを拝見したりしているうちに、何が起こったのかようやくわかりました!

本当に、スピリチュアル探求というのは、今起こっていること以外の何かを求めることで、終わらない無限のループなんですね~。求めるから見つからないのであり、本当はすでに目覚めているんですね。今にいると、平和で満たされているという意味が、ようやくわかりました。というわけで、スピリチュアル探求は、自然に終わりました(笑)

思考も、そのまま流れていくようにしていると、思考が減ってきたような気がします。例えば、「面倒くさい」という思考が流れる前に、体が勝手に動いて、スムーズに物事が流れることが多くなりました。

(匿名 女性)

 

セッションの中で、不足というのは『自分の思考の中にしかない』ということがわかりました。そして、結果を自分でコントロールしようとさえしなければ、現実は自由に起こる事が起こっていて。。。

「現実は満ち足りていて、何も不足がない」という事を、矢沢先生のガイドで体感し、え⁉︎え⁉︎えっーー❤︎となりました。

そうしたら「自由は自分で勝ち取らないと!」と思って、日々行動していた自分が可笑らしく、漫画チックにさえ思えてきて、爆笑してしまいました。

セッション以降は、平和でリラックスした毎日を送っています。

(国家公務員 女性)

 

言葉ではうまく言えませんが、プライベートセッションを受けた日の帰り道、街が輝いていて、見慣れた梅田の街が、まるで別物のようで、初めて見た街のように見えました。とても心地良かったです。転職とか、時間の束縛から自由になりたいという願望がなくなると、ちょっと最初は頼りなく感じましたが、なんだか和やかで、軽ろやかです♪

(F.Mさん  女性)


あれから本当に悩めなくなってしまいました(笑)

問題(っぽいもの)は、相変わらず起こるのですが、まったく気にならなくなりました。

セッション当日は「知っちまったよ~、手品のタネ」と思い、人生がつまらなく、虚無感に襲われるのでは?と、若干の心配が残っていましたがさにあらず。

タネを知ったら知ったで、「スゲー手品じゃん!」と、ますます感動の日々です。

ノンデュアリティの本も読んでみたりもしましたが(もちろんそれも楽しめたけれど)雪の粒を手づかみすると溶けてしまうように、言葉で表現されたそれと、セッションで体験したそれでは、また違う味わいがありました。

楽しい時間をありがとうございました。

(Y.Mさん 女性)

 

起業の予定があり、不安とか怖さでいっぱいでしたが、セッションを受けて、日に日に私のなかの恐れが消えていきました。それは、矢沢さんが不安の正体を教えてくれたからです。

サロン開業の話もどんどん進み、毎日楽しさの方に心が向いています。(リスクを手放すことに成功したんです)

神秘的な体験はしていませんが、感覚をつかむと今までには戻れなくて、今までのマインドを自然に手放すことができ、喜びや、安心感に包まれる毎日です。他のいろんなセッションではすぐに消える至福感が、矢沢さんのセッションではいつも一緒な感じです。

時間いっぱいいっぱいまで優しく本当に優しくメッセージを送り続けて下さいます。世の中には高いお金のセッションもありますが、矢沢さんのセッションはとても良心的な料金です。ありえません。

あの後、「私は今まで一体何を悩んで生きてきたんだろう」と何かが落ちた感覚です。不思議ですがサクサク生きています。

(N.Iさん 女性)