あるのは「気づき」だけ

100mくらい先にある家のベランダで、見知らぬおじさんが、布団を干している。
その様子を、さっきからずーっと眺めている。
「知らないおじさんには、ついていってはいけない」と小さい頃に誰かに教えられたけど、布団を干している見知らぬおじさんは、今、この瞬間、気づかれている。
だから、この瞬間、このおじさんは、私に関係のないおじさんではない。

おじさんは、この瞬間の気づきの現れなのだから。
だから、見えているのは、実はおじさんではない。

それは、気づきそのもの。
だから、見えているものを、関係のないものとして捉えることなど、気づきにはできない。

気づきとは、愛のことだからだ。

 

今、見えるもの、聞こえるもの、感じるもの、全てが気づきの現れ。
気づきがなければ、何一つ現れでてこれない。
どれもこれもが「気づき」。
 「気づき」以外のものは、この世界には何一つ存在していない。
このことを非二元と言っている。

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