
ノンデュアリティ(非二元)に関するボタンのかけ違え
from 矢沢大輔
シャツのボタンをかける際、最初のボタンをかけ違えると、2つ目、3つ目のボタンもズレていきます。
これと同様、「ノンデュアリティ」(和訳の「非二元」)という言葉を初めて聞き、その意味を調べようと検索し、「そういう意味だったのか!」と分かったなら、それは言語的に意味を把握した「知識レベル」の理解であり、その後、どれだけ「読む」「聞く」「考える」を積み重ね、知識量(情報量)を増やし続けても、悩み苦しみからの解放(=自由で安らぎに満ちた生活の実感)に至りつくことはありません。
なぜなら、「知識量」と「日々実感できる心の安らぎ、充足感」とはまったく異なるものだからです。
そもそも「ノンデュアリティ(非二元)」とは、「ノン(非)」という否定辞を用いて「デュアリティ(二元性)」を打ち消しています。
ここで打ち消されている「デュアリティ(二元)とは、「こちら(私)」と「あちら(私以外のもの)」とが二元対立して(分離して)あるように感じられる世界観のことです。
※ノンデュアリティとは「not two」だという説明をたまに見かけますが、それではNon-dualityの「duality(二元性)」の意味を完全に無視して、「ただ数字の2を否定しているだけ」という話になり、いったい何のために数字の「2」だけを否定する必要があるのか、知識レベルの理解にさえも至れない、意味不明な話となってしまいます。
話を元に戻すと、「こちら」と「あちら」が別々に分かれているように感じられるデュアリティ(二元性)の世界観は、主に言葉の働きによって形成された世界観といえます。
たとえば、散歩中にこのような花が目に止まり、「きれいだな」と思ったとしましょう。

この時、こちらに「花を見ている私」がいて、あちらに「きれいな花」がある。
つまり、こちら側で、花を見ている私は人間で、あちらに見えているのは、私ではない(人間ではない)花である、という自他分離の認識が起きているわけです。
この自他分離の認識は、言語の働きによって形成されたもので、しかも無自覚のうちに作り出された世界観なので、私たちは、このデュアリティの世界観こそ「現実だ」と思い込んで生きています。
そして、「私」と「私以外のもの」とが、別々にあるように感じられる世界観の中で、「私」は孤独感や孤立感、不完全さを埋め合わせようと、外側にあるように思える様々な名前がついているものを手に入れ、自分の心を満たそうとします。
それゆえ、自分の思いどおりに欲しいものが手に入れば、「私は幸せだ」と感じ、思いどおりに手に入らなければ、「私は満たされていない(=不幸せだ)」と感じる。これが無意識のうちに形成されたデュアリティの世界における、私の「幸・不幸」が分かれる条件づけです。
自分の欲しいものが、自分のものになれば、幸せになれる。そう信じて、私は外側にある何かを追い求め、それを獲得することで「幸せになろう」とします。
ところが、誰もが経験的に知っているとおり、欲しいものを手に入れても、心はまた別のもの(刺激や興奮)を求めだします。このように心は、「これが手に入れば、私は満たされる」とささやきかけますが、その言いなりになって、外側のものを手に入れ続けても、「もっともっと」という欲望(貪欲)が増すばかりで、心底から心が満たされ、安らげる日はやってきません。
つまり、これが、どこまで幸せを追い求めても、不満、不足の感覚がなくならない、私たちの悩み苦しみの正体です。
しかし、この苦脳は、あくまで言語によって無自覚のうちに形成され、私たちの多くが現実だと思い込んでいる「デュアリティの世界」における苦しみにすぎません。なぜなら、デュアリティ(二元対立・自他分離)の世界とは異なる「現実」があることを、「ノンデュアリティ(非二元」という言葉が指し示しているからです。
デュアリティの世界においての私は幸せを追い求めながら、それでいて何を手に入れても心底から満たされることはなく、不満足→束の間の満足→不満足→束の間の満足→不満足…の終わりなき循環にハマっていましたが、デュアリティ(言語空間)とは異なる現実=ノンデュアリティに触れると、こちら(私)とあちら(花)は分離しておらず、今ここにあるのは、見えている色、姿のままの(花の)様子があり、「きれい」と感じている心もまた、あちら(花)にではなく、今ここに自然に生じてきた感覚であることに気づけるようになります。
今ここには、付け足さなければならない何かもなく、取り除かなければならない何かもなく、あるものすべてが、あるがままにあります。この気づきが、今ここにある時(過去や未来に心がさまよっていない時)、心は安らぎと充足感に満ちています。
この時、「私はこうなったら幸せになれる」という条件づけもありません。
ここにあるこの幸福(至福)に満たされている時、「こうなったから私は幸せになれた」という理由はなく、幸せを求めていた「私」もなく、あるのはただこの幸福(至福)だけです。
ところが「幸福になろう」として、心が今ここを離れ、言語で形成された「過去」や「未来」に心がさまよい出てしまうと、今ここにある生の鮮やかさ(フレッシュさ)はたちまち色褪せ、その生との一体感も感じられなくなります。
幸せとは「なる」ものではなく、今ここに「ある」もの。
そして、これを実感するための道筋(メソッド)を示したのがノンデュアリティ(非二元)です。
そこで、このプライベートセッションでは
身体の外側にある何かを求めなくても、身体的な感覚に意識を向けると、今ここに、安らぎに満ちた充足感が無条件にあることを実感いただけるようガイドいたします。この体験を通して、「○○が手に入れば、わたしは幸せになれる」という誤った思い込みが、終わりなき不満足→満足→不満足→満足…の循環を生み出していたことを自覚できるようになり、とらわれ(執着)がほどけだします。
そして、ここまでの文章を読んで「そういうことか」と知識として理解し、そこで留まったなら、冒頭でお伝えしたように、それは実践(実体験)から知りえた智慧ではないため、自分には何かが足りないという不完全さとそれを埋めようとするエゴ的な欲求とが維持されたままとなります。
身体の外側にある多くのものを求めて、日々、忙しなく動き回る生活ではなく、内発的に感じられる安らぎに満たされながら、日々、穏やかで、物との関係においても、人との関係においても、量よりも質の高い生活をお望みであるなら、ぜひ、このプライベートセッションをご活用ください。
プライベートセッションはこんな方にお薦めです
■親子、兄弟、パートナーとの関係、職場での人間関係で感情的になってしまう人がいる方
■仕事をしながら、「こんな仕事は自分の仕事ではない」という否定的な思いが出てきて、仕事に向き合えない方
■金銭の動きに合わせて感情が一喜一憂し、お金の心配が絶えない方
■感情や思考に気づいている瞑想を実践しつづけても、マインドフルを感じられない方
■将来の不安や心配が絶えず、心が落ち着かない方
■夜、眠れない方
■他人からどう見られているか、思われているかが気になってばかりいる方
■人前に立つと極度に緊張してしまう方
■セラピー、カウンセリングを受けても、トラウマ、恐れ、不安、罪悪感、劣等感など精神的苦痛が続いている方
■精神的安定のために、何かへの依存、または中毒が続いている方
■他人をうらやんだり、自分を卑下したり、他人との比較ばかりしている方
ノンデュアリティ(非二元)プライベートセッションを受けた方の声
【セッションの直後に届いた声】
思考がどれだけフィクションなのか。そして、目や耳が感知しているものがどれだけ事実と一致しているのか。そのことを体感できて本当によかったです。
これまでは思考や感情を門番のように見張り続け(笑)、好みじゃないものが出てくるとぎゃーまた出てきた😱と思って、なんとかその思考や感情をなくそうとか良いものに変えようとか働きかけることが多かったのですが、これからは安心してそのままにしておけそうです。そして、ここではないどこかへ素晴らしい何かを探しに行くという探究も今日で終わりにできそうです。
【セッションの翌日に届いた声】
今朝、寝起きに苦しい感情が湧き上がってきたのですが、その感情をよくないとして、なんとか静めようとしている思考に気がついたら、心が穏やかになって、いつのまにか感情も消えていました。そして、次の瞬間にはもう違うことが現れはじめていることを五感が教えてくれて、矢沢さんがおっしゃっていたように、はじめから五感は何も残さずクリアであることを実感しました。セッション受けてよかったなと改めて感じた朝でした。
(R.Aさん 女性)
今回は怒りの感情に対する見方を取り上げてもらいましたが、自分にとって一番感動したのは、「五感を感じて生きることの喜びがあるじゃないか!」と矢沢さんのお話を聞いて思えたことです。
いい年をして、何も成し遂げていなくて、あらゆることへの興味もどんどん薄れ、この先人生になんの喜びがあるのだろう…このまま廃れて死んでいくことを待つような人生なのかも…と思っていたのです。正直、非二元のイメージは何も感動しないような、変な誤解をしていたようです。
思い切ってセッションを受けて本当に良かったです。読み物だけでは得られない肌で感じるものがありました。
(K.Mさん 女性 会社員)
セッション中は、不思議な技を使えるようになったのかも…とキョトンとし、最後にはこれでどうやって自分の体を動かせば良いのか分からなくなってしまい、放心状態になりました。
しかし、勝手に寝て、今朝、勝手に起きて、準備して、歩いて、会社についていました。そして、職場の女性に対してイライラしたときの反応を試してみたくて、いつもならイライラしそうな場面もありましたが、「これでイライラできるかも」と期待して楽しんでしまったので、イライラしませんでした。
目の前のコーヒーを飲んでいたら平和すぎて笑えてきました。セッションを受ける前まで、イライラしたくないと願っていたのに、今日はイライラしたいと期待していた変な1日でした。これは本当に言葉では表せない感覚ですね。笑いしか出てこない。
今回とてもラッキーだったのは、矢沢さんが関西弁だったことです。私も途中から、自分に話しかけているのか、矢沢さんに話しているのか分からなくなって素の関西弁になり、とてもリラックスできました。
「勝手に出てくんねん」「そのままでええねん」
この矢沢さんの関西弁のセリフが私にはすんなり馴染んでいくきっかけだったように思います。このたびは本当にありがとうございました。しばらくこの状態を楽しんでみようと思います。と全部勝手に浮かんできました。笑
(匿名 女性)
セッションでは、不思議な感覚で、何が起こったのか、実は、はっきりとはわからなかったのですが、アドバイスいただいた通り「感情を言語化しない」ようにしたり、矢沢先生のブログを拝見したりしているうちに、何が起こったのかようやくわかりました!
「肉体の中に意識がある」のではなく「意識の中に肉体がある」ということを「知っている」ことを思い出したのでした!この「知っている」ということに気付けたのと、この一年、「知っている」こと(スピリチュアルな統合では『意識の反転』とよく言いますが)をわかるために、時間とお金を費やしていたのだなと思うと、本当に笑いがこみ上げてきますね!
本当に、スピリチュアル探求というのは、今起こっていること以外の何かを求めることで、終わらない無限のループなんですね~。求めるから見つからないのであり、本当はすでに目覚めているんですね。今にいると、平和で満たされているという意味が、ようやくわかりました。というわけで、スピリチュアル探求は、自然に終わりました(笑)
思考も、そのまま流れていくようにしていると、思考が減ってきたような気がします。例えば、「面倒くさい」という思考が流れる前に、体が勝手に動いて、スムーズに物事が流れることが多くなりました。
(匿名 女性)
セッションの中で、不足というのは『自分の思考の中にしかない』ということがわかりました。そして、結果を自分でコントロールしようとさえしなければ、現実は自由に起こる事が起こっていて、自由にフローしている。。。
「現実は満ち足りていて、何も不足がない」という事を、矢沢先生のガイドで体感し、え⁉︎え⁉︎えっーー❤︎となりました。
そうしたら「自由は自分で勝ち取らないと!」と思って、日々行動していた自分が可笑らしく、漫画チックにさえ思えてきて、爆してしまいました。
「漫才のネタとかに使えんのちゃう?」という矢沢先生の言葉で、更に笑えてきました。セッション以降は、平和でリラックスした毎日を送っています。
(国家公務員 女性)
言葉ではうまく言えませんが、プライベートセッションを受けた日の帰り道、街が輝いていて、見慣れた梅田の街が、まるで別物のようで、初めて見た街のように見えました。とても心地良かったです。転職とか、時間の束縛から自由になりたいという願望がなくなると、ちょっと最初は頼りなく感じましたが、なんだか和やかで、軽ろやかです♪
(F.Mさん 女性)
先日は、ありがとうございました。帰宅後、主人に「これからどうしていくのか?」聞かれ、「どうにかしていく私がいなかったよ」とこたえたら、「どこに行っても探求は、終わらないよ」と言っていた主人もほほえんでいました。
その後、私の思考とは別に、ケラケラ笑いがしばらくとまりませんでした。
そして夜、私のセッションのことを書いてくださった矢沢さんのブログを読むと、主人が号泣でした。どうしたか聞くと、「無に消えていったということだよー」と号泣していました。
昨日は、主人と仙台にハウンド・ドッグのライブに行きました。ライブ中、スペースからこのステージがでていて、私のお祝いをしてくれているんだという、感覚で嬉しかったのですが、スペースからでているのではなく、このステージの現れをスペースが自由に受け取っていいと、なんにもないスペースがありました(??)
頑張らなければならない自分も、どうにかしなければならない自分も、初めからいなかったと、セッションを受けてわかりました。どうにかしないとと考えるマインドがでてきても、今ただ現れたということで、そこからマインドのストーリーにひきずられないこともできるようになっています。食事もライブも私が、お金を払って用意したものではないことも、そうなのかなと思うマインドもでてきますが、そう思ったということだけで終わりにしています。
壮大なパノラマをみるスペース。ギフトをうけとる今にたどり着いたという、これもまた壮大なストーリーだったと、楽しくなってきました。
(S.Sさん 女性)
起業の予定があり、不安とか怖さでいっぱいでしたが、セッションを受けて、日に日に私のなかの恐れが消えていきました。それは、矢沢さんが不安の正体を教えてくれたからです。
サロン開業の話もどんどん進み、毎日楽しさの方に心が向いています。(リスクを手放すことに成功したんです)
神秘的な体験はしていませんが、感覚をつかむと今までには戻れなくて、今までのマインドを自然に手放すことができ、喜びや、安心感に包まれる毎日です。他のいろんなセッションではすぐに消える至福感が、矢沢さんのセッションではいつも一緒な感じです。
時間いっぱいいっぱいまで優しく本当に優しくメッセージを送り続けて下さいます。世の中には高いお金のセッションもありますが、矢沢さんのセッションはとても良心的な料金です。ありえません。
あの後、初歩の初歩の一瞥体験がやって来ました。それは、笑いが止まらなくなり「私は今まで一体何を悩んで生きてきたんだろう」と何かが落ちた感覚です。不思議ですがサクサク生きています。
(N.Iさん 女性)
先日、プライベートセッションでお世話になり、今日はお礼のメールです。あれから本当に悩めなくなってしまいました(笑)
問題(っぽいもの)は、相変わらず起こるのですが、まったく気にならなくなりました。
セッション当日は「知っちまったよ~、手品のタネ」と思い、人生がつまらなく、虚無感に襲われるのでは?と、若干の心配が残っていましたがさにあらず。タネを知ったら知ったで、「スゲー手品じゃん!」と、ますます感動の日々です。
ノンデュアリティの本も読んでみたりもしましたが(もちろんそれも楽しめたけれど)雪の粒を手づかみすると溶けてしまうように、言葉で表現されたそれと、セッションで体験したそれでは、また違う味わいがありました。楽しい時間をありがとうございました。
(Y.Mさん 女性)
セッションの後、電車に乗っていると、笑いが止まらなくなってしまい大変でした(笑笑)「全てはただ起きてる」というシンプルな真実が腑に落ちたのか、「今まで"私"がやってきたことなんて何一つなかったんだ」っていうことが明らかで。
でもこれまで本当に一生懸命思考ちゃんは「私がやった!」って捉えてきたことが、でもそれすらも素敵な壮大なストーリーの中でただ起きてたんだってことが何だかすごく面白くておかしくなっちゃいました(≧∀≦) 笑いがどうしても止まらないのでマスクで隠してして何とか帰ってきました〜笑
あらゆる全ては完全性の中でただ表現されてる、起きてるんですね。本当に一なる意識ってすごいとしか言いようがないです。本当に楽しい時間でした。
(M.Kさん 女性)
ノンデュアリティ・プライベートセッションは、対面またはオンラインで行っています。
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ナチュラルフロー認定ファシリテーター
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