from 矢沢大輔
非二元(ノンデュアリティ)とは、「非(ノン)」という否定形を用いて「二元(デュアリティ)」を打ち消している言葉です。
この言葉が意味しているは、人間という存在の根源(元)は「精神」と「物質」の二つからできているのではない、ということです。
では、なぜ、否定形を用いた一見遠回しに思える表現をしているのかというと、古くはインド哲学において、人間は「精神」と「物質」の二つからできていると提唱する「二元論」の学派があり、その一方「いや、その二つではない」と考え、「不二一元論」を唱えた学派が当時の主流をなしていたからです。
そして、16世紀の西洋においても、人間の本質は、考える実体としての「精神」と物理法則に従って運動する「物質(身体)」の二つからできている、という原理をデカルトが唱え、この考えは現代の貨幣制度や職業制度のもとで暮らす私たちの思考や判断に今なお強い影響をもたらし続けています。
では、これらの制度からなる現代社会の中で暮らす私たちにとって、幸福に生きるための知恵として、何と何の二つが別ものではなく同一なのか、つまり非二元なのかを知っておくべきなのでしょう?
それは、「生きて有ること」と「幸福であること」は、別ものではなく一つの同じものであること。
これをインド哲学では、根元的に存在するものを表す言葉として、「サット(存在)・チット(知)・アーナンダ(至福)」と言っています。
そして、ここまで読むと、こんな疑問が湧いてくるかもしれません。
「生きること」と「幸福であること」が別ものではなく一つの同じことであるなら、なぜ、その真逆ともいえる「生きることはつらく、苦しいこと」と感じながら生きている人が現に存在するのか?…と。
その答えは、人間として存在している私たちは、幸福にも不幸にもなりうる自由を持っているから、といえます。
では、生きて存在しているなら日々感じられるはずのの喜び(幸福)を、私たちから遠ざけているものとは何なのでしょう?
それは、「生きること」から「幸福」を切り離して、幸福とは何かを抽象的に考え、その答えに自行動を従わせて生きようとするデカルトの原理に基づく思考の働きです。
そして、この考えに従って忠実に生きようとすると、自分に対しても世界に対しても、そのありのままのあり方に満足できなくなり、家族や友人と共に過ごしている私的な時間でさえ、目標に追い立てられるような時間へと変質し、自分らしく生きている喜びを感じられない命の抜け殻状態(ニヒリズム)に陥ってしまいます。
二元論の思考にくらまされることなく、誰もが一つずつ持っている自己本来の命の働きを何よりも大切にして生きること。
それこそが幸福な生き方であること。
これを言葉にして言い表すと、非二元(ノンデュアリティ )となるのですが、実はここに大きな落とし穴が待ち構えています。
それは、真に存在するものが二元(二つ)でないのなら、二つのうちのどちらか一方が絶対的存在であるはずだと考え、真の存在を求めつつ自らの存在を否定せざるを得なくなる知的転倒へと誘い込まれてしまう恐ろしさです。
その典型例が、デカルトの二元論(精神と物質)が真の存在でないなら「唯心論(観念論)」か「唯物論(物質主義)」のどちらかが絶対的存在だと考え(それがデカルトの二元論の枠組みにとどまったままの思考であることに気づけず)、それが非二元だと誤解したまま、思考の迷路から出れなくなる悲劇です。
そして、この問題はヨーロッパの哲学者によって19世紀に克服されたにもかかわらず、21世紀の今になっても姿を変えて蘇り続け、オーストラリアの哲学者はこの事態を「哲学的ゾンビ」と呼び、警告を発しています。
そこで、矢沢大輔のプライベートセッションでは
ここまで、非二元(ノンデュアリティ )に関する哲学のことをいろいろと書きましたが、セッションを受けていただくにあたって、哲学に関するこれ以上の知識は何も必要ありません。
なぜなら、知識の過剰によって混乱させられたこの社会において、本当に必要とされているのは、さらなる知識ではなく、既にあなたが持っている命の活動に目を向けることだからです。
それは目の前にあり続けていますが、あなたはいまだ、その値打ちに気づけず、自分の生き方に悩んでいるかもしれいません。
なぜなら、私たちが価値を認めているのは、経済的観点から見て希少性のあるもので、日々の活動(生きること)は目的達成のための手段としか思えないほどデカルトの原理にわれわれの思考が支配され、自分らしく生きる喜びを感じられなくなっているからです。
そこで、このセッションでは、目的と手段(行動)が別のものではなく同一であり、日々のありふれた活動こそが生きることそのものであり、同時にそれが生きる喜び(幸福)であることを体験として理解いただけるよう対話を進めいきます。
プライベートセッションはこんな方にお薦めです
■親子、兄弟、パートナーとの関係、職場での人間関係で感情的になってしまう人がいる方
■仕事をしながら、「こんな仕事は自分の仕事ではない」という否定的な思いが出てきて、仕事に向き合えない方
■金銭の動きに合わせて感情が一喜一憂し、お金の心配が絶えない方
■将来の不安や心配が絶えず、心が落ち着かない方
■他人からどう見られているか、思われているかが気になってばかりいる方
■人前に立つと極度に緊張してしまう方
■セラピー、カウンセリングを受けても、トラウマ、恐れ、不安、罪悪感、劣等感など精神的苦痛が続いている方
■精神的安定のために、何かへの依存、または中毒が続いている方
■他人をうらやんだり、自分を卑下したり、他人との比較ばかりしている方
矢沢大輔(京都)
最寄駅:阪急「烏丸駅」(地下鉄「四条駅」)または地下鉄「烏丸御池駅」
セッションの詳細・ご予約はこちらから
【セッションの直後に届いた声】
思考がどれだけフィクションなのか。そして、目や耳が感知しているものがどれだけ事実と一致しているのか。そのことを体感できて本当によかったです。
これまでは思考や感情を門番のように見張り続け(笑)、好みじゃないものが出てくるとぎゃーまた出てきた😱と思って、なんとかその思考や感情をなくそうとか良いものに変えようとか働きかけることが多かったのですが、これからは安心してそのままにしておけそうです。そして、ここではないどこかへ素晴らしい何かを探しに行くという探究も今日で終わりにできそうです。
【セッションの翌日に届いた声】
今朝、寝起きに苦しい感情が湧き上がってきたのですが、その感情をよくないとして、なんとか静めようとしている思考に気がついたら、心が穏やかになって、いつのまにか感情も消えていました。そして、次の瞬間にはもう違うことが現れはじめていることを五感が教えてくれて、矢沢さんがおっしゃっていたように、はじめから五感は何も残さずクリアであることを実感しました。セッション受けてよかったなと改めて感じた朝でした。
(R.Aさん 女性)
今回は怒りの感情に対する見方を取り上げてもらいましたが、自分にとって一番感動したのは、「五感を感じて生きることの喜びがあるじゃないか!」と矢沢さんのお話を聞いて思えたことです。
いい年をして、何も成し遂げていなくて、あらゆることへの興味もどんどん薄れ、この先人生になんの喜びがあるのだろう…このまま廃れて死んでいくことを待つような人生なのかも…と思っていたのです。正直、非二元のイメージは何も感動しないような、変な誤解をしていたようです。
思い切ってセッションを受けて本当に良かったです。読み物だけでは得られない肌で感じるものがありました。
(K.Mさん 女性 会社員)
セッション中は、不思議な技を使えるようになったのかも…とキョトンとし、最後にはこれでどうやって自分の体を動かせば良いのか分からなくなってしまい、放心状態になりました。
しかし、勝手に寝て、今朝、勝手に起きて、準備して、歩いて、会社についていました。そして、職場の女性に対してイライラしたときの反応を試してみたくて、いつもならイライラしそうな場面もありましたが、「これでイライラできるかも」と期待して楽しんでしまったので、イライラしませんでした。
目の前のコーヒーを飲んでいたら平和すぎて笑えてきました。セッションを受ける前まで、イライラしたくないと願っていたのに、今日はイライラしたいと期待していた変な1日でした。これは本当に言葉では表せない感覚ですね。笑いしか出てこない。
今回とてもラッキーだったのは、矢沢さんが関西弁だったことです。私も途中から、自分に話しかけているのか、矢沢さんに話しているのか分からなくなって素の関西弁になり、とてもリラックスできました。
(匿名 女性)
セッションでは、不思議な感覚で、何が起こったのか、実は、はっきりとはわからなかったのですが、アドバイスいただいた通り「感情を言語化しない」ようにしたり、矢沢先生のブログを拝見したりしているうちに、何が起こったのかようやくわかりました!
本当に、スピリチュアル探求というのは、今起こっていること以外の何かを求めることで、終わらない無限のループなんですね~。求めるから見つからないのであり、本当はすでに目覚めているんですね。今にいると、平和で満たされているという意味が、ようやくわかりました。というわけで、スピリチュアル探求は、自然に終わりました(笑)
思考も、そのまま流れていくようにしていると、思考が減ってきたような気がします。例えば、「面倒くさい」という思考が流れる前に、体が勝手に動いて、スムーズに物事が流れることが多くなりました。
(匿名 女性)
セッションの中で、不足というのは『自分の思考の中にしかない』ということがわかりました。そして、結果を自分でコントロールしようとさえしなければ、現実は自由に起こる事が起こっていて。。。
「現実は満ち足りていて、何も不足がない」という事を、矢沢先生のガイドで体感し、え⁉︎え⁉︎えっーー❤︎となりました。
そうしたら「自由は自分で勝ち取らないと!」と思って、日々行動していた自分が可笑らしく、漫画チックにさえ思えてきて、爆笑してしまいました。
セッション以降は、平和でリラックスした毎日を送っています。
(国家公務員 女性)
言葉ではうまく言えませんが、プライベートセッションを受けた日の帰り道、街が輝いていて、見慣れた梅田の街が、まるで別物のようで、初めて見た街のように見えました。とても心地良かったです。転職とか、時間の束縛から自由になりたいという願望がなくなると、ちょっと最初は頼りなく感じましたが、なんだか和やかで、軽ろやかです♪
(F.Mさん 女性)
あれから本当に悩めなくなってしまいました(笑)
問題(っぽいもの)は、相変わらず起こるのですが、まったく気にならなくなりました。
セッション当日は「知っちまったよ~、手品のタネ」と思い、人生がつまらなく、虚無感に襲われるのでは?と、若干の心配が残っていましたがさにあらず。
タネを知ったら知ったで、「スゲー手品じゃん!」と、ますます感動の日々です。
ノンデュアリティの本も読んでみたりもしましたが(もちろんそれも楽しめたけれど)雪の粒を手づかみすると溶けてしまうように、言葉で表現されたそれと、セッションで体験したそれでは、また違う味わいがありました。
楽しい時間をありがとうございました。
(Y.Mさん 女性)
起業の予定があり、不安とか怖さでいっぱいでしたが、セッションを受けて、日に日に私のなかの恐れが消えていきました。それは、矢沢さんが不安の正体を教えてくれたからです。
サロン開業の話もどんどん進み、毎日楽しさの方に心が向いています。(リスクを手放すことに成功したんです)
神秘的な体験はしていませんが、感覚をつかむと今までには戻れなくて、今までのマインドを自然に手放すことができ、喜びや、安心感に包まれる毎日です。他のいろんなセッションではすぐに消える至福感が、矢沢さんのセッションではいつも一緒な感じです。
時間いっぱいいっぱいまで優しく本当に優しくメッセージを送り続けて下さいます。世の中には高いお金のセッションもありますが、矢沢さんのセッションはとても良心的な料金です。ありえません。
あの後、「私は今まで一体何を悩んで生きてきたんだろう」と何かが落ちた感覚です。不思議ですがサクサク生きています。
(N.Iさん 女性)